前回の記事 の続き(?)です。
前回、長く続く会社を目指すためには、制御可能な状況を増やしていくことが大事だと書きました。
これは、会社だけでなく個人にも言えることだと思っています。
というか、自分のこの経営に対する考え方は、元は「自分がどうやったら日々穏やかに幸せに暮らせるか」を考えたことに起因しています。
基本的に、自分以外の他人はコントロールできません。
相手によかれと思ってやったことが、逆に相手を不快にさせてしまって、悲しくなったり腹が立ったりしたことは誰しもあることと思います。
もうちょっと正確に言えば、「他人に対して自分がコントロールできることには制限があり、それが必ずしも自分の意図した結果になるとは限らない」、です。
シンプルに書こうと思ったのに、また小難しくなっちまった・・・。
前に、こんな経験がありました。
久々に会った友達がとても不機嫌そうで、僕は会話を盛り上げようと、頭をフル回転させ話題を見つけ、たくさん話しかけ、遣えるありとあらゆる気を遣い、場を盛り上げようとしました。
しかし、全然上手くいかず、「自分と会いたくなかったんだな。自分は好かれていないんだな。」と落ち込みました。
後からわかったのですが、その友達はその日とても体調が悪かったそうで、でもせっかく久しぶりに会えるんだから、と無理を押して来てくれたのだったそうです。
それを聞いたとき、とてもホッとしたと同時に、相手の考えを自分で決めつけて一喜一憂して神経をすり減らしていたことに気付きました。
相手のことを思いやることと、自分の先入観・価値観で「よかれ」と思って行動することは全くの別物だと思いました。
周りに振り回されず自分を確立することが、自分が穏やかでいるため、ひいては周りとよい関係性を築くために重要だと考えるようになりました。
この間、面白い記事を見ました。
「自分の幸せをないがしろにして、周りの幸せを考える」→全員不幸(自分が幸せでないため)
「自分の幸せを大事にして、その上で周りと折り合いをつける」→多くが幸せ
こんな感じだったと思います。
色々と端折った極論ですが、わりと共感できました。
つまるところ、「自立」です。
対局にあるのが、「依存」。
長く勤めた会社に、ある日突然クビを宣告されたら。
付き合っていた恋人に、ある日突然別れを切り出されたら。
その先の自分自身の人生を、自分の足で力強く歩んでいけるか。
人はコントロールできません。
自分すらもコントロールするのは難しい。
周りに依存しすぎず、自分の制御可能な領域を増やしていくことが、個人にとっても重要なことで、
そのためには、自分がどう生きていきたいのか、というコンパスを持つことが大事だと思っています。
こんなこと書くと、また人に興味ないやら、冷たいやら、付き合い悪いやら言われそうですが、人を大事にする仕方が人と少し違う(らしい)だけで、そんなつもりは全くありませんのであしからず。