分業精神

今日は江東区青海のMONOという場所で打ち合わせをさせていただきました。

そのとき話題にあがったことで興味深かったことがあります。

それは「日本は元々分業の国」という話。

例えば江戸時代の革屋さんは、なめし(柔らかくする)→染革(揉み込み染色)→仕上、という工程を分業で行っていたそうです。

木材(林)業界も同じで、川上から川下まで数多くの人の手を経ていました。

これに対して、欧米は一つの場所で一から十までやっていたそうです。

これを聞いたとき、「日本人は合理化よりも共栄の文化なんだな」と感じました。

今の国際競争を考えれば、企業にとって合理化は決して避けられない要素の一つですし、その必要性は感じます。

ただ、資本主義の競争の元に全てを内製化して合理化を目指す選択肢だけでなく、みんなで分け合って支え合って暮らす選択肢もあって、今少しずつこの選択肢を選ぶ人が増えているのかもしれないな、とも感じます。

全てを自分でやろうとすること、それを目標にすることは、ひょっとしたら立派なことじゃなくて、傲慢なことなのかもしれません。

この先どうなっていくか、ちょっと楽しみです。